日本国籍が認可されたフィリピンの日系2世
フィリピンには大勢の「日系2世」がいるのをご存知でしょうか。
19世紀末から第二次世界大戦までの間にフィリピンに渡った日本人移民たちの子供で、残留日本人とも呼ばれています。
■日本国籍を持つはずの2世
多くは日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれたハーフで、日本人父親のほとんどが第二次世界大戦時に戦死してしまったか、日本へ強制送還されてしまい、フィリピン人母と子供だけが残されたのです。
子供といっても今はほとんどが高齢になっていますが、現在フィリピンで暮らしながらも、日本国籍を取得することを望んでいます。
なぜなら本来は、日本人が父親なら日本国籍を持っているはずだからです。
■抹消された出生記録
しかし、その背景には”日本人であること”を隠されてきた過去があります。
戦時中のフィリピンでは日本人は敵だったため、その血を継いでいるというだけで偏見を持って見られたのです。
そのため2世の母親の多くが、日本人父親との血縁関係をなかったことにしようと、戸籍を抹消したり燃やしたりしました。
まだ幼かった子供たちの中には、フィリピン人の名前に変えられ、自分の父親が日本人であることを知らずに育った子も大勢いました。
そして時間が経つにつれ、彼らの父親が日本人である証拠はどこにもなくなってしまったのです。
■無国籍の残留日本人
これにより、日系2世たちは、日本国籍を取得することが大変難しくなりました。
しかし純粋なフィリピン人というわけでもなく、無国籍の人もいます。
自分たちのアイデンティティが不明なまま何十年と過ごしてきているのです。
この残留日本人の問題は、長年の間フィリピンと日本の間で協議されてきました。
弁護士を通して何とか証拠を集めることで、日本人であることを認めてもらえた2世たちもいます。
■日本に「就籍」が決まった78歳の2世
今回、広島高裁により、日本に新たな戸籍を作る「就籍」が出来ることが決まったメラニオ・タクミさんもその一人。
一審では却下されたそうですが、両親の婚姻証明書によって父親の国籍が日本であることが分かったとのこと。
また、父親が家庭で「トウサン」と呼ばれていたとことも、日本人と認めるのに十分な材料となったそう。
■国籍回復が急がれる2世たち
2世の就籍が認められると、3世以降の子孫も日系人として日本に定住し、出稼ぎでフィリピンの家族を経済的に支えることができるようになります。
しかし、父親の身元は不明で、メラニオ・タクミさんもすでに78歳。
今も日本国籍の回復を望む2世たちが1,000人以上いますが、高齢ですでに亡くなってしまっている人も。
また、2世たちの多くが教育の機会に恵まれなかったため、貧困層に属し、経済的に苦しい生活を送っています。
戦時中に母親を失った人もいます。
彼らは日本へ来て国籍取得のための活動をしたくても、金銭的事情から何もできないことがほとんどです。
メラニオさんのように、来日して弁護士を通し裁判所へ申請できるのは、ほんの一握りです。
日本の学校では、歴史でこのようなことは教わらないかもしれません。
しかし、かつてミンダナオ島ダバオには2万人規模の日本人街も作られるなど、フィリピンと日本には実は深い歴史的繋がりがあるのです。
NPO法人の「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」は、残留日本人の法的・社会的支援を行なっています。