世界遺産ビガンでフィリピンと日本の歴史を探求しよう!
フィリピンといえば、どんなイメージをお持ちでしょうか。
マニラであれば、経済成長が著しい新興都市、セブなら南国リゾートというイメージが強いかもしれません。
日本の教育ではそれほどフィリピンについて学ぶことが少ないので、あまりフィリピンのことを知らない方が多いのではないかと思います。
実はフィリピンは、他のアジア諸国とはかなり異なった独特の歴史を持っています。
大きく分けると、スペインに統治されていた時期、アメリカに統治されていた時期、そして日本に統治されていた時期があります。
また、中国との貿易も盛んであったため、中国からの影響も大きく受けています。
そのため、現在もフィリピンには様々な文化が入り混じって残っています。
「ビガン歴史都市」はその中でも、スペイン統治時代の面影を色濃く残す街として知られています。
今回はこの「ビガン歴史都市」について、その背景や見どころなどを詳しくご紹介していきます!
<ビガン歴史都市とは?>
ビガンは、1574年に建設された都市です。
ルソン島・首都マニラから北に400キロの場所に位置します。
16世紀から始まったスペイン統治の下、中国とメキシコを結ぶ貿易の中継点、商業の拠点として栄えました。
当時はビガンではなく「シウダー・フェルナンディナ」という名前で呼ばれていました。
名前から見ても、スペインの影響を大きく受けていることがうかがえますね。
マニラやセブにも同じようなスペイン風の都市が存在していましたが、災害や戦争でその多くが破壊されました。
しかし、ビガンは奇跡的に戦禍を逃れ、現在も当時の姿を残しているのです。
スペインのみならず、ラテンアメリカや中国なども混ざった独特な雰囲気の街並みが残されており、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。
そのヨーロッパ風の街並みは、フィリピンであることを忘れてしまいそうなほどです。
<ビガンの街並みを造っている「バハイ・ナ・バト」>
ビガンの特徴的な街並みを造っているのは、「バハイ・ナ・バト」と呼ばれる住宅建築です。
1階がスペイン風の石造り、2階が木造となっており、地震や大雨、暑さや湿気にも強い構造になっています。
また、中国あるいは日本の影響を受けてか窓には格子がついており、格子にはカピス貝という貝の貝殻がはめ込まれています。
欧風×アジア風のなんともエキゾチックな建物は、まるでアニメの世界にでもいるような感覚にさせてくれます。
<なぜビガンは戦禍を逃れたのか?>
度重なる戦争で数多くの都市が破壊されたフィリピン。
なぜビガンだけが戦禍を逃れたのでしょうか?
その背景には、太平洋戦争時の日本とフィリピンが大きく関係しています。
当時日本がフィリピンを統治しており、ビガンに赴任していた髙橋大尉は、現地の女性と結婚し家族を持ちました。
しかし1945年、米軍がビガンに迫り、日本もいよいよ敗北が濃厚となります。
本来なら米軍に対抗するか、ビガンの街を焼き払って撤退するしかありません。
しかし、ビガンに家族が出来てしまった髙橋大尉にはそれができず、そのまま何もせずに撤退することを決めたのです。
彼は、「この地で愛する妻と娘を残していかなければなりません。アメリカの砲撃によって、家族と暮らしたこの美しいビガンが破壊されることのないよう、日本軍が撤退したことをアメリカ軍に伝えてください。」と、神父クレカンフ司教に妻と子供を託して悲願したそうです。
そのおかげでビガンは米軍に破壊されることもなく、日本軍に焼き払われることもなく、当時のままの姿を残すことになりました。
髙橋大尉はビガンを去ったあとに、仲間とともに戦死したということです。
この話は、2009年に「イリウ」というタイトルで映画化もされています。
<ビガンの観光スポット>
ビガンの街全体が観光スポットとも言えますが、カトリック教にちなんだ見どころもいくつかあります。
■ブルゴス広場
ビガンのメインストリートであるクリソロゴ通りの出発点にある広場です。
スペインに対抗したヒーローであるホセ・ブルゴスの記念碑があります。
また、かき氷や軽食を売る露店が並んでいて、見ているだけでも楽しいです。
■セント・ポール・メトロポリタン大聖堂
ブルゴス広場のすぐに近くにある、白い教会です。
かなり大きく、中には聖人の絵画や彫像も飾られています。
その荘厳な雰囲気は当時からキリスト教を広めるスペインが大きな勢力を持っていたことを感じさせます。
敬虔なビガンのカトリック教徒たちが、ここに礼拝に訪れます。
■クリソロゴ博物館
ビガンの政治を取り仕切っていたフロロ・クリソロゴを記念した博物館。
ビガンの歴史を知ることができます。
<ビガン出身の大統領>
フィリピンの第6代大統領であったエルピディオ・キリノはビガン出身でした。
彼は、戦争で妻子を日本軍に殺されたという過去を持ちます。
にも関わらず、1953年の反日感情の強いフィリピンで日本人戦犯105人に恩赦令を出し、日本へ帰国させました。
<ビガンまでのアクセス>
「PARTAS」という長距離バスで、マニラから8時間ほどです。
1時間半に1本くらいの頻度で出ています。
ビガンのバスターミナルから街の中心地までは徒歩10分ほどとなっています。
マニラから飛行機でラオアグ空港まで飛んで、そこからさらに2時間かけてバスでビガンへ向かう方法もあります。
しかし、空港までの移動や乗り換えの時間を考えると、長距離バスとさほど所要時間が変わりません。
料金も片道760ペソ(約1,600円)程度と飛行機より全然安いので、長距離バスが平気な方はバスで行くと良いでしょう。
長距離バスは、昼間出発する便と深夜便があります。
マニラもビガンも深夜は治安が良いとは言えませんので、一人で歩くようなことはせずにタクシーに乗ることをおすすめします。
<ビガン内での交通手段>
フィリピン観光ではタクシーを使うことが非常に多いですが、ビガンに関してはタクシーが走っていないため、トライシクル(三輪タクシー)を使うことになります。
また、「カレッサ」と呼ばれる馬車も走っています。
ヨーロッパ風の街並みの中を馬車で進むなんて、異国情緒たっぷりです。
きれいに整備された石畳と碁盤の目になった地形もまた、フィリピンらしからぬ雰囲気を漂わせています。
<今後は保護が課題となっているビガン歴史都市>
諸外国の影響を大きく受けた独特の街並みを残すビガンですが、年月の経過とともに家屋の老朽化も進んでいます。
ホテルやお店として改装されている建物も多いですが、今後はこれらをどう修復・保護していくかが課題となっています。
<古都ビガンで異国情緒を味わおう!>
いかがですか?
同じアジアでありながら、どこかヨーロピアンな雰囲気を持つフィリピンですが、その背景には複雑かつ多様な歴史や文化が隠れているのですね。
ビガンを訪れれば、きっと今までとは違う新しい視点でフィリピンを見ることができると思います。
そして、その街に隠された物語を知ることで、旅はもっと楽しくなります。
特にビガンの場合は日本もいろいろ関わっていて興味深いですよね。
実は世界遺産があるのに、まだそこまでメジャーじゃないため観光客が来ておらず、比較的観光スポットがすいているのもポイントです。
セブのビーチでのんびりリゾートを満喫するのも良いですが、時にはフィリピンの歴史を知って教養を深めるもの良いものですよ!
日程は1日あれば十分なので、ぜひマニラから足を伸ばしてみてください。