「マニラの戦い」から75年、祈念式典で犠牲者を追悼
2月3日、1945年に行われた「マニラの戦い」から75年が経ち、マニラでは祈念式典が行われました。
500人以上が参加し、アメリカや中国、オーストラリアなどの駐フィリピン大使が慰霊碑に花輪を捧げ、日本からは山本恭司公使が出席したということです。
<マニラの戦いとは?>
「マニラの戦い」は、1945年2月3日〜3月3日にフィリピンの首都マニラで行われた日本軍と米軍中心の連合軍の戦いです。
日本軍は1942年からマニラを占領していましたが、連合軍が反抗を本格化させ、1ヶ月に及ぶ市街戦が行われました。
結果、連合軍が勝利し、日本は敗北。
3年間に渡る日本のフィリピン支配は幕を閉じました。
戦闘中、マニラには70万人の市民が残留したままになっており、10万人の市民が巻き添えになって死亡しています。
日本はこの戦いに負けた同年1945年にアメリカから広島・長崎へ原爆を投下され、その悲劇が主となって語られていますが、実は「マニラの戦い」でフィリピン人にひどい虐殺を行ったことも事実として歴史に残っています。
今でこそ有効な関係を築いているフィリピンと日本ですが、こういった時代があったことも、フィリピンに滞在するにあたっては知っておくべきでしょう。