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ダバオで日本の商品や文化を伝えるイベント開催


ドゥテルテ大統領がもともと市長を務め、現在はアジアで最も安全な都市として知られるダバオ。

マニラ、セブに次ぐフィリピン第3の都市です。

多くの日系人が住んでいるほか、近年は旅行先や留学先としても人気となっています。

そんなダバオでは10月4日〜6日の間、「ダバオ日本人コミュニティ100周年記念事業実行委員会」により、日本の企業や食文化を発信する展示が行われました。

 

■日本の企業40社が出展

ダバオ市内のショッピングモールSM Lanang Premierで行われた今回のイベントでは、食品、飲料、美容、観光などの分野から40社の日本企業が出展。

多くの来場者を迎えて大盛況となったそうです。

オープニングセレモニーでは、ドゥテルテ大統領の長女で現市長でもあるサラ・ドゥテルテ氏がスピーチし、「ダバオ市と日本の絆を祝い、より関係を深めていきたい」と話しました。

今フィリピンで注目されているマーケットはいろいろありますが、中でも日系企業は化粧品やお酒、飲食業の発展に期待しているようです。

特に化粧品メーカーに関しては、肌を白くしたいフィリピン人のニーズに合わせて美白系の商品に力を入れていきたいと話します。

また、飲食業に関しては、まだまだダバオには少ない日本食レストランが増えて欲しいという声が聞かれました。

 

■日本とダバオのつながり

実は日本はダバオとすごく繋がりが深いのですが、意外とその歴史については知らない人が多いかもしれません。

1900年代、ダバオには多くの日本人が移り住み、マニラ麻のプランテーションとともに日本人街「民多留(みんたる)」を作りました。

当時は日本人学校、日本語新聞、日本領事館、病院、商店、神社、仏教寺院、ゴルフ場などもダバオに作られ、日本人社会が発達。

日本人2万人が住むという東南アジア最大の日本人街でした。

フィリピン人と日本人の混血も多くなっていきました。

日本人経営の農園でフィリピンの栽培技術も進み、ダバオの産業の基礎も築かれました。

しかし、太平洋戦争が勃発し、日本人の多くは日本へ帰ることに。

「民多留」も激戦地と化し、日本人とともに多くのフィリピン人が亡くなりました。

現在、日本人街と呼べるものはありませんが、その歴史を忘れないようダバオと日本の絆を復活させるべく動いているのが、1918年に発足された「フィリピン日本人会」。

発足から100年以上経った今、ダバオの日本人社会が紡いできた歴史を次世代に伝える活動を行なっています。

 

■留学先、移住先としても注目のダバオ

もしもダバオを訪れる機会があるなら、ぜひ日本とダバオとの歴史を学んでみてください。

現在も1万人ほどの日系人が住んでいます。

また、ダバオはマニラやセブと比べて気候も安定しているので過ごしやすく、今は留学先としてじわじわ人気が高まっています。

治安の良さは東京とほとんど変わらないレベルなので安心です。

台風も通らないので、セカンドライフを過ごすための移住先としても注目されています。

特にこれといった大きなエンタメはないものの、大自然と美しい海のある素晴らしい環境から、ダバオはファンが多いです。

2008年にはフィリピン観光省からも「最も住みやすい都市」に選定されています。


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