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フィリピン、ダバオと日本の深い関係


フィリピンは地域によって様々な風土や歴史を持っています。

日本の学校の歴史の授業などではほとんど習うこともないのであまり知られていませんが、ミンダナオ島のダバオ市は特に日本と関係が深い場所です。

現在はフィリピンで最も治安がよく緑あふれる平和な都市として知られるダバオ。

もともとはドゥテルテ大統領が市長を務めていたことでも有名です。

実はダバオと日本は、100年以上に渡って歴史を共にしてきました。

 

■日本人街があったダバオ

ダバオに最初に日本人が降り立ったのは、1903年のことです。

彼らは「アバカ」と呼ばれるマニラ麻の栽培をダバオで始めました。

それが後にダバオの主要産業へと成長し、発展へ導いたのです。

日本人はどんどん増え、最盛期には2万人がダバオでマニラ麻の生産に関わっていました。

やがてダバオには日本人街が出来上がり、「ミンタル」(民多留)という名前で繁栄しました。

日本人が、「ここに人が溜まるように」という思いを込めてつけた名前です。

近くにはアバカのプランテーションが広がっていました。

現在も同じ名前の地区が残っています。

 

■太平洋戦争の勃発

日本人街ができ、ダバオに住むフィリピン人と日本人との関係はどんどん深くなっていきました。

しかし1942年12月、太平洋戦争が勃発します。

日本軍が侵略を進め、やがてダバオは激戦地に。

移住していた日本人の中には、戦争に巻き込まれて亡くなったり、やむを得ず帰国した人たちもいました。

フィリピン人と結婚して幸せに暮らしていた家庭もありましたが、最終的にはフィリピン人の家族だけがダバオに取り残されました。

 

■差別や迫害にあった日系2世の人々

日本軍は戦時中、フィリピン人に対して非人道的な行為を多々行なってきました。

それが原因で日本人を憎むフィリピン人が増え、戦争が終わってからも、日本人の親を持つ子供たちはやがて国内で差別や迫害を受けることになります。

仕方なく彼らは、実親が日本人であることを隠して生きていくことを決め、日本の名前や出生証明書も捨てることになりました。

フィリピン人の名前へ改名し、日本人の親がいた事実は無かったことにしたのです。

しかし、父親を失った彼らの生活は、貧困を極めました。

現在もダバオの山村には、貧しい生活を強いられている日系2世の人々が住んでいるそうです。

 

■日本国籍を取得したい日系人たち

そんなダバオに住む日系2世の人々は今、日系人会を結成し、日本国籍を取得すべく活動していると言います。

しかし、ほとんどの2世たちはすでに自分が日本人の血を引いていることを証明するものがありません。

そこで、「日本財団」や「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」といった機関が協力し、彼らの身元の確認したり、戸籍を申請したりしているそうです。

すでに出生証明書がなくなってしまっている以上、証拠を探すのは簡単ではないため、日系人たちに聞き取り調査をして日本の親族を探すなど、地道な活動も行われています。

これは、今後生まれてくる3世、4世のためでもあります。

2世が日本国籍を取得できれば、3世4世も日本で暮らすことができるのです。

貧しいフィリピンの人々にとって、日本で暮らすのは願っても無いこと。

しかし現状として、日本戸籍を求めている日系人のうち、1,200人ほどは父親の身元が不明だそうです。

中にはすでに80歳を過ぎている高齢者もおり、生きているうちに見つかるかどうかわからない、といったケースもあります。

 

■日本人移民史跡を観光の呼び水に

日系人会では、日本の文化を継承するための活動もいろいろ行なっています。

自分たちが日本人の一端であることを誇りに思い、日本の伝統的な祭りを開催したり、書道や生け花、茶道といった伝統芸能を披露するイベントを開催するなど、大変熱心です。

また、これらの活動を通して、観光客を呼び込もうと尽力している人たちもいます。

2017年には、1,000万ペソ(約2,200万円)の政府予算が割り当てられることになり、本格的に日本人移民史跡の保全計画がスタートしました。

「ミンタル」には現在も、昭和の日本風の家屋や日本人墓地、そして当時の水路などが残されており、これらを観光の呼び水にしたい方針です。

ちなみに現在も、日本人墓地では毎年日本人戦没者の慰霊祭が行われています。

ドゥテルテ大統領もこのミンタル観光地化プロジェクトには積極的な姿勢を見せており、最終的には1,200億ペソの予算が下りる見込みだそう。

日本人がかつて建設していた病院や学校を再建し、史跡を説明するための案内板なども作られる予定となっているほか、ダバオ開拓の父とされている太田恭三郎の記念碑や博物館の建設も計画されています。

現代の日本を生きている私たちにとっては、特に縁もゆかりもないような気がしていたダバオという都市が、これらの活動によって非常に身近に感じられることでしょう。

過去には恨まれても仕方のない歴史もありますが、戦前日本人がダバオに残したものは、確実に両国の関係を良いものにしていたはずです。

今回の観光誘致プロジェクトで、そんな関係が復活することが、ミンタル地区の人々の願いだそう。

 

■親日家も多いダバオ

ダバオには、戦時中の記憶から日本人を恨む人々がいる一方で、日本人に感謝しているという親日家も大変多いです。

戦時中に日本軍が攻めてきた時には、ダバオで家族を築いていた日本人は複雑な心境だったことでしょう。

フィリピン人の家族を守るために犠牲になった人もいます。

現在私たちは普段ダバオのことを考える時間はほとんどないかもしれませんが、事実今も同胞が暮らしていることは、知っておくべきかもしれません。

 

■観光地、留学先として発展を続けるダバオ

現在ダバオには、1万人ほどの日本人が住んでいます。

ドゥテルテ大統領が市長だった時代にすっかり治安も改善され、今ではフィリピンで最も安全な学園都市へと発展しました。

平和で緑あふれるダバオは、セブに次いで人気の留学先でもあります。

物価も安く、気候も快適で、人々も優しいダバオは、フィリピンに行くならぜひ訪れて欲しい場所です。

そして、機会があれば「ミンタル」を訪れ、自分たちの祖先が残してきた史跡に触れるのも良いかもしれません。