フィリピン、ピナトゥボ火山噴火の歴史と現在
フィリピンは海も山も自然豊かな島国ですが、自然災害も多いです。
中でも大雨による洪水や冠水は、フィリピンの台風シーズンではおなじみの光景になっています。
また、地震も時折起こっており、2013年10月におきたボホール島の地震では1,000人を超える死傷者が出ました。
さて、そんな自然災害が多いフィリピンで、20世紀最大の火山噴火が起こったことをご存知でしょうか。
パンパンガ州にある「ピナトゥボ山」です。
■ピナトゥボ山とは?
ピナトゥボ山は、フィリピンのルソン島西側にある火山です。
マニラからは約95キロ離れたサンバレス州、バターン州、パンパンガ州の境界上にあります。
1565年〜1991年までは、スペイン人からの征服を逃れるためにアエタ族がピナトゥボ山へやって来て暮らしていました。
■400年ぶりの噴火と甚大な被害
1991年6月、ピナトゥボ山は400年ぶりに噴火しました。
噴火のピーク時には近くの住民の多くを避難させることに成功したため数万人の命が救われましたが、その噴火の規模は20世紀最大と言われています。
周辺地域は火砕流と火山灰の被害が甚大となり、さらに火山泥流(火山の堆積物に雨水が染み込んで流動化する現象)で数千戸の家屋が倒壊。
米などを栽培して生活していたアエタ族の田畑や村も埋没しました。
死者は800人を超え、行方不明者なども含めて被害を受けた人の数は120万人にも達しました。
そしてピナトゥボ山自体も、噴火によって標高1,745メートルから1,484メートルにまで低くなりました。
■地球と社会・経済への影響
この激しい噴火により、フィリピンのみならず世界・地球全体へも影響が出ました。
大量の大気エアロゾル粒子が成層圏に放出され、硫酸エアロゾル層が何ヶ月も残留。
それにより地球の気温が0.5℃下がって、オゾン層の破壊が進みました。
また、ピナトゥボ火山の噴火は社会や経済の発展にも大きく影響しました。
周辺のインフラ復旧までには数十億ペソの費用がかかり、堤防やダムも建設するのに経費がかかりました。
この際、日本政府も援助をしたとのことです。
農業への被害も大きく、800km2の稲作地帯が破壊されたほか、80万頭の家畜と家禽が死に、総被害額は15億ペソになりました。
さらに、学校も破壊されたため子供達の教育も一時ストップし、周辺の経済も低迷しました。
被害を最も大きく受けたアエタ族も元の生活に戻ることはできず、政府が作った再定住地に移住することになりました。
やがてアエタ族は低地の文化に溶け込んでしまい、彼らの社会は自然消滅し、散り散りになってしまったそうです。
■噴火する前のピナトゥボ山
1991年に噴火するまでは、あまり知名度もなく地味な火山でした。
山の斜面にはアエタ族が数世紀に渡って住んでおり、バランガイと呼ばれる小さな集落を作っていました。
山の豊かな自然の中で狩猟生活をしていたのです。
また、モンスーン気候のため土壌は農耕に適しており、米などを栽培して豊かに暮らしていたそうです。
■現在のピナトゥボ山
現在、ピナトゥボ山はトレッキングおよびハイキングスポットとして観光地化されています。
美しい眺めと頂上からの一大パノラマは一見の価値があります。
4輪駆動車でデコボコの火山地帯をドライブするコースも人気です。
火山岩や渓谷、カルデラ、エメラルドグリーンの火口湖と周辺の大自然は、まさに地球が作り出した芸術作品であることがわかるでしょう。
また、最寄りの街としてはアンへレスが栄えているので、ここでも観光したり歴史を学ぶことができます。
いかがですか?
リゾート地やショッピング天国などのイメージが強いフィリピンですが、本当の見どころは豊かな自然にあるのかもしれません。
フィリピンの知られざる自然災害の歴史を探りに、ぜひ一度ピナトゥボ火山を訪れてみてください。
フィリピンの持つ大自然の強さやそこに住む人々の思いが伝わってくることでしょう。