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フィリピン人が英語を話す歴史的背景


フィリピンは、アジアで唯一の英語公用語国です。

母国語はタガログ語ですが、どこへ行ってもほぼ英語が通じます。

これは、フィリピンの教育が、小学校から英語で行われるためです。

タイやベトナムなどの他の新興国と比べてフィリピンが行きやすい理由は、英語がどこでも通じるから、というのも大きいでしょう。

フィリピンでの英語留学も人気ですよね。

 

しかし、フィリピンといえばスペインに300年間に渡って支配されていたという歴史があります。

なぜスペイン語ではなく英語が公用語になったのでしょうか?

 

実は19世紀、スペインの支配が終わったあと、次はアメリカがフィリピンへ入ってきました。

当時、スペインは世界への侵略をどんどん進めており、キューバも占領していました。

そこへアメリカが登場し、「キューバ独立を支援する」としてスペインに宣戦布告します。

これが「米西戦争」です。

その戦いは、スペイン領であったフィリピンへも波及します。

アメリカはこの際、フィリピンの独立も支援すると約束しました。

フィリピンはアメリカと協力してスペインを打倒しようと決めたのです。

そして1862年、スペインはアメリカに敗北し、フィリピンは独立を果たしたかのように思われました。

しかし、負かしたスペインにアメリカが要求したのは、フィリピンの領土。

最初から支援する気などなく、フィリピン領土を狙っていただけだったのです。

 

これに対し怒りをあらわにしたフィリピン人。

今度は米比戦争が始まります。

この戦争では、両国の多くの兵士が犠牲になり、殺されたフィリピンの民間人は150万人にも及ぶと言われています。

ここからしばらくの間、アメリカによる統治が続きました。

学校教育は英語となり、アメリカ式の教育が導入されました。

現在、フィリピンで英語が浸透している理由は、このアメリカ統治時代にあります。

 

そして、案外知られていませんが、その後フィリピンは日本の統治下にもありました。

日本もまた、「フィリピンを支援する」という名目でアメリカと戦ったのです。

しかし、1945年に第二次世界大戦で敗北したため、フィリピンは再びアメリカの占領下に戻りつつありましたが、1946年のマニラ条約により、戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が成立しました。

ついにフィリピンも独立を勝ち取ったのです。

その後も内戦や独裁政権、暗殺劇、自爆テロ、汚職などの暗い歴史を経験していますが、現在は最も将来性の高い新興国として注目されるようになりました。

 

スペインに続き、アメリカによる裏切り、支配、そして日本の統治・・・などなど、フィリピンには戦いの歴史が数多くあります。

1983年にマルコス大統領の独裁政権が終わるまでを考えると、実質的な独立までには随分長い歳月がかかりました。

 

しかし、彼らが現在英語を堪能に話し、強い家族愛と国民性をもって発展を続けているのは、そういった歴史があるからこそ、なのだと思います。

かつては「アジアの病人」とまで称されたフィリピンも、どん底から這い上がった今は、他のアジア諸国に追随を許さない勢いで成長を続けています。