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フィリピンの歴史と日本との関係


フィリピンへ行くと、実に多様な文化が形成されているのを実感します。
食べ物、宗教、言語、人の気質などから、諸外国の影響を受けて成長している国、という印象を持つことでしょう。
この理由は、フィリピンが持つ歴史にあります。
フィリピンは、日本が鎖国していた時代にスペインに占領されました。
現在もフィリピン人の名前にスペイン由来のものが多いのはこのためです。
その後、アメリカ対スペインの戦争が始まり、フィリピンはアメリカに協力することになります。
協力すればスペインから独立させると約束したためです。
しかし、アメリカが勝利したあとに出来た「フィリピン第一共和国」は、実質アメリカの支配下にありました。
これに対しフィリピンは独立のためにアメリカと戦います。
日本はこの際にフィリピンを支援しました。
武器を供給したり、亡命を受け入れたりしたほか、多くの日本人がフィリピンへ移り住み、道路などの建設を手伝ったのです。
また、人手不足であった農園経営を助けるため、日本の企業が進出しました。
日本人労働者がフィリピンを助けたことで大きな功績が出ましたが、ダバオの先住民などは仕事も住む場所も日本人に取られてしまいました。
同時に日本人街や日本人学校が形成され、だんだんと日本人も「侵略者」になっていったのです。
その後、1939年に第二次世界大戦が始まり、日本軍は1941年にフィリピンを制圧しました。
表向きには、アメリカ支配から彼らを救い、「フィリピン第二共和国」を樹立させた日本ですが、実際にはアメリカと同じように植民することが目的でした。
これに気づいたフィリピン人は日本軍へ対抗。
結局1945年に日本が敗北した際に、フィリピンからも撤退することになります。
フィリピン第二共和国も解体され、1946年に晴れてフィリピンは正式に独立を果たしたのです。
このような様々な植民時代を経て、フィリピンは現在のような多様性に富んだ文化や慣習を形成しました。
今でこそ親日家として知られるフィリピン人ですが、かつては支配していたという悲しい歴史も、私たちは知っておくべきでしょう。
現在は、8割以上のフィリピン人が日本に対して肯定的なイメージを持っています。
日本から見たフィリピンは、どのようなイメージでしょうか。
もしかすると、発展途上国で貧しい、という印象を強く持っている人が多いかもしれません。
しかし、現在の彼らの経済成長のスピードは、近い将来日本を凌ぐ勢いです。
労働人口の多さに加え、彼らの高い言語能力など、見習わなければならない点もたくさんあります。
これまでの日本とフィリピンの関係性や歴史も理解しつつ、互いに発展していきたいものです。